自分が欲しい駆動開発の罠
自分の欲しいもの駆動のモノづくり
僕が以前、働いていた某企業では、「自分の欲しいもの駆動のモノづくり」が推奨されていました。好きで自然に作ってるものは、少なくとも自分というニーズが1でもあるから、ユーザー視点にも立てるし、粘りが効くから良いよねって考え方です。
サービスの作り方みたいな本にもこういう事が書いてあって割合正しいのかもしれません。ただ、会社でやろうとすると、僕が知る限りは、「市場が小さい」がモノができて、「作品的ものづくり」が好きなアーティスト風な人が多い組織になります。
ちなみに、前職でそうやって作られた商品のほとんどは、注目はされたものの 売れませんでした。
目新しさを価値として、話題作りに採用してくれることはあっても、他がやると同業他社には中々売れなくなりました。「作品的モノづくり」は、自分たちは何かすごい事をやっている気がするので楽しいのですが、「意義はあれど意味(結果)は本人にしか残らない」ことが多く、結果、売れる人が売らないと売れない、あるいは、そもそも小さな市場の中、あるいは、市場が働かない所での評価が多くなります。
いい訳も可能です。それを「いやーブランディングのためです」と言えるのは、儲かってる企業ができる言い訳で、儲かって無い企業は、「まだまだウチは名前がでてない、実績が足りないから・・・」言い訳できます。実際は「作ったものに魅力がない」か「そもそもニーズがない(市場がない) 」のいずれか ではないでしょうか?
企業は開発できる環境を開放するだけじゃなくて 一緒にビジネスも教えナイト
ここ数年、企業内での自発的なモノづくりを推奨するラボラトリー的な環境が、メーカームーブメントをベースに非常に増えてきました。すごく良い流れですが「モノづくり」だけではなく、自分やその周りの大多数が満たされる「ビジネスづくり」も合わせて会社は推奨する必要があると思います。
「当たり前じゃん」なのですが、レーザーカッターや3Dプリンターを使える場所を社内に作るようなハード的な整備と合わせて、リーンを教えたり、実行させるソフト的な環境を合わせて作らないと、「作品的ものづくり」をする個人を満たす場所になってしまいます。そうなると、できる人はそこで作って会社を辞めて起業し、作る事自体が楽しくて売ろうと思ってない人の憩いの場になりがちです。
結論とかないけど
まず、間違いないのは、
「自分がメインターゲットユーザーではない、課題を抱えていないものは、圧倒的な量の仮説、検証、構築を繰り返さないと作れない」
「それにはやり方があり(例えば リーン)、多くの場合で、我流では失敗する、あるいは、成功の定義が作品的ものづくりの範疇になる」
かと思います。